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続・平野川の「カルガモ親子」

10日ぶりに平野川で「カルガモ親子」を見つけた。
増水にも天敵にも襲われず、無事7羽いた。
雛鳥は一回り大きくなって、黄色い文様も薄くなっていた。
カルガモ親子2.JPG
植物を中心とした雑食性で、種子、水生植物、昆虫などを食べる。
平野川の水中には藻が生えている。
時折、近所の人からパン屑も与えられて食べるのは問題ない。
ただ気になるのは水質だ。
泡立っている時がある。
増水した時などは溜まったヘドロが巻上げられて黒ずんでいる。

カルガモは10~12個の卵を産み、26~28日の抱卵を経て、雛が孵化してから2か月で飛翔できるようになる。
コンクリート護岸で平野川のどこで営巣していたのか気になっていたのだが、
今回、見つけたところから考えれば、排水口の平坦地で営巣していたのだろう。
少し高い所で、草が繁茂していて天敵からも身を隠せる。
例年よりも早く梅雨入りした。
昨年のような藻を流すほどの増水さえなければ、何とか巣立ちできそうだ。

ちなみに和名の「カルガモ」の由来は、橿原市大軽周辺にあったといわれている「軽の池」で年中見られたことから呼ばれたと考えられている。

小水力発電の普及には

小水力発電に関する講演会(主催:関西広域小水力利用推進協議会)に参加した。

小水力発電とは1000kw以下の水力発電のことで、再生可能エネルギーの一つだ。
その事例として白山の麓にある岐阜県郡上市白鳥町石徹白(いとしろ)地区が紹介された。
現在、農業用水路などを利用したらせん型水車と上掛け水車が稼働している。
冬季でも融雪のために水を利用しており、ほぼ年間通じて発電可能になっている。
「お金を稼ぐ地域振興」ではなく、「お金を流出させない地域づくり」を目標に、今後も小水力発電を設置して
エネルギーの自給自足を目指している。

関西広域小水力利用推進協議会には現在、全国で244件の小水力発電が登録されている。
その中に「長居配水場水力発電所」が登録されているものの、大和川流域にはない。
かつては巻向山の車谷や生駒山西麓の辻子谷では水車を動力源として製粉していた。
しかし小水力発電できるほどの安定した水量は望めない。
小水力発電.JPG
(撮影日2011.11.25)
これは京都の観光名所・嵐山にある小水力発電所だ。
桂川(大堰(おおい)川)に架かる渡月橋の少し上流にある一ノ井堰の左岸に設置されている。
京都嵐山保勝会が所管しており、渡月橋の欄干の足元の灯に利用されている。

東日本大震災に伴う福島第一原発事故で自然エネルギーの普及が求められている。
その中で注目されているのが小水力発電だ。
山間部では谷水が、平野部でも農業用水路がめぐっている。
しかし設置するのはそう簡単なことではないことが、国交省の役人による「水利権について」の講演会でわかった。
たとえ農業用水路で流水を利用するだけでも、ゴミが詰まったり、増水で施設が壊れたりした時のことを考えると審査が厳しくなるのも理解できる。
また農業用の慣行水利権をそのまま小水力に転用できなくなっている。
せめてその認可を柔軟にしていかないと普及は望めないだろう。

2011年末時点での太陽光など再生可能エネルギー普及状況を見ると、1000kw以下の中小水力発電は約20万kwだ。
風力の約250万kw、地熱の約50万kwよりも低い。
今年度の再生可能エネルギーの固定価格買取制度では、水力は200kw以上1000kw未満で30.45円だ。
個人でもできることは発電事業者への出資などが考えられるが、それも今後の買取価格の動向次第だろう。

参考:
関西広域小水力利用推進協議会
http://kansai-water.net/

京都嵐山保勝会
http://www.arashiyamahoshokai.com/akari.html

国土交通省「水管理・国土保全」
https://www.mlit.go.jp/river/riyou/syosuiryoku/index.html

平野川の「カルガモ親子」は?

一週間前から家の裏を流れる平野川(竹渕橋~中竹渕橋)で7羽のヒナを連れた「カルガモ親子」を見かけるようになった。
時折、ヒナを守るために親カモがほかのカルガモを追い払う姿も見られた。
カルガモ親子.JPG
写真撮影したのは18日(土)だったが、今日は見かけなかった。
前日の雨のせいなのか。
確かに少し増水して流れも速かったが・・・。
それとも天敵のカラスか、シマヘビか。
「カルガモ親子」のほのぼのとしたニュースを見かけるが、その後はどうなっているのだろうか。
コンクリート護岸で増水しやすい平野川は、「カルガモ親子」にとっては身を守る術の少ない厳しい環境なのだと思う。

最近、平野川でもカメやウシガエルのほかにコイも見かけるようになった。
その稚魚を追うようにカワウも出現している。
生きものが多様になるのは、長い目で見れば「カルガモ親子」にも望ましいと思う。

高井田から国分へ

JR高井田駅北方の丘陵地に広がる高井田横穴公園は6世紀中頃から7世紀前半にかけて築造された総数200基以上と推定される横穴古墳群だ。
その中の一つに「ゴンドラ船」の線刻壁画が描かれていることで知られている。
ほかにも人物、鳥、馬など様々な線刻壁画があり、年2回一般公開されている。
数年前から「ゴンドラ船」はその保存のためにガラス越しの見学になった。
確かに数年前よりもコケが増えていた。
別の横穴には「帆かけ船」の線刻壁画ある。
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南を流れる大和川には国豊橋がある。
国道25号線に架かり、柏原市の高井田地区と国分地区を結んでいる。
江戸時代には渡しで両岸を結んでいた。
明治3年に初めて木橋が架けられた。
当初は「国分橋」と呼ばれたが、国分と高井田の間に架かることから「国高(くにたか)橋」となり、いつしか「国豊(くにとよ)橋」と呼ばれるようになったそうだ。
昭和7年にコンクリート製に架け替えられ、現在の橋は1999年に上流(東)側に架けられた。
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南詰には「風戸堤」の案内板がある。
江戸時代初め頃に築造された堤防で、「風土堤」「新町裏堤」などとも呼ばれた。
当時は大和川の度々洪水に見舞われてきたが、堤防の完成で南側に「新町」が形成され、堤の北側には「国分船」の船着場が設置された。
そのおかげで大阪と奈良の中間点にあたり、水路と陸路の要衝として栄えたという。
また江戸末期の儒学者・頼山陽がこの堤からの景観を「河内嵐山」と称賛したという。
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堤防下にある地蔵堂の裏の道はかつて「亀瀬越(龍田越)奈良街道」と呼ばれ、今も古風な町並みが残っている。
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その街道沿いに国分神社がある。
本殿背後の丘陵上には小さい円墳や方墳が10基ほどあり、その中でもっとも高いところにあるのが松岳山(まつおかやま)古墳だ。
全長約130mの前方後円墳で4世紀後半の築造とされている。
遊歩道を上っていくと、(後円部の)頂上に蓋と底に各1枚、側面に4枚の計6枚の石で組み合わせた石棺が残っている。
傍らには案内板のほかに「船氏墳墓」の石碑がある。
副葬品のほかに国宝の船氏王後首(ふなしおうごのおびと)の墓誌が発見されたと伝わっている。
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大和川南岸(左岸)の丘陵地に築かれていることから、大和川の舟運を支配した「船氏」を被葬したと考えられている。
今は木が茂って眼下に大和川を見下ろすことはできない。
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国道25号線に出てしばらくすると、道路沿いに「夏目茶屋の渡し」の案内板がある。
明治初期に現在の国道25号線が整備されるまで、ここから渡し船で対岸に渡って亀の瀬を経て奈良へ向かっていた。
渡し場に茶屋があり、ナツメが植えられていたのでそう呼ばれたという。
現在は右岸(北)の青谷青少年運動広場と結ぶ歩行者・自転車道の川端橋(かわばたばし)が架かっている。
「青谷吊り橋」とも呼ばれる大和川では唯一の吊り橋だ。
一度に通行できる最大人員15名で、揺らさないようにとの注意書きがある。
落ちないと頭でわかっていても、揺れると怖い。
幅員1mを両手で支えながら歩くと、橋長88mが一層長く感じられる。
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中之島の水辺

「中之島バラ園」に行った。
昭和56年に開園されて以来、リニューアルを重ねて現在は約310品種、3700株植えられている。
堂島川と土佐堀川を南北に結ぶ水路には「ばらぞの橋」が架かっている。
西側のイングリッシュガーデンの中ほどには噴水から流れ出る細い水路がある。
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バラ園のある中之島公園は明治24年に大阪市で初めての都市公園として誕生した。
その東端の剣先にある平成21年に開催された「水都大阪2009」に合わせて大噴水ができた。
堂島川から取水してろ過・殺菌処理し、風を考慮しながら自動調整して最長約60m、最高約20mのアーチを描き出している。
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(撮影日2009.10.4)
剣先の少し下流の松屋町筋に架かるのが天神橋だ。
文禄3(1594)年に公儀橋として架橋されたという。
現在の橋は昭和9年に完成したものだ。
北詰には明治時代の旧天神橋の橋名額が残っている。
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バラ園の西端を通る堺筋に架かるのが、「ライオン橋」と呼ばれる難波橋だ。
奈良時代に行基が架けたという説もある。
江戸時代の難波橋は一つ西の筋に架けられていた。
大正4年に市電を通すために現在地に架け替えられたアーチ橋を継承して、昭和50年に完成した。
橋の四隅の親柱にヨーロッパでは水神とされているライオン像が鎮座している。
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上流から天満橋、天神橋、そして難波橋は「浪華三大橋」とされた。
かつて大阪は「浪華八百八橋」といわれた。
実際には二百足らずだったが、それほど多くの橋があって名所になった。
北側の堂島川と南側の土佐堀川に挟まれた中之島にも多くの橋が架けられた。

堂島川に架かる鉾流橋(昭和4年完成)の袂には大阪天満宮の御旅所があり、天神祭の鉾流神事が行われている。

堂島川に架かる人道橋の水晶橋(昭和4年完成)は、もともとは河川浄化を目的にした堂島川可動堰だった。
照明灯が水面に移る様子が水晶の輝きに似ている事から名付けられたそうだ。
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御堂筋には堂島川に大江橋、土佐堀川に淀屋橋(昭和10年完成)が架かっている。

昨年完成したばかりの中之島フェスティバルタワーの南に架かっているのが錦橋だ。
土佐堀川可動堰として昭和6年に完成し、1985年にこの名になった。
人道橋で橋上には大坂の町や橋を描いた錦絵がタイルに装飾されている。
たもとには大坂の橋を相撲番付に見立てた番付があり、東の大関が天神橋、西の大関が難波橋だ。
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堂島川に架かる渡辺橋は河村瑞賢の淀川改修工事で誕生した。
江戸時代にはこの界隈は米市場として栄えた。

堂島川に架かる田蓑橋は多くの歌で詠まれた難波八十島の一つの「田蓑島」にちなんで名付けられた。
その南東角にあるダイビルは大正14年竣工当時の外観や内部を保存して再開発された。
「四季の丘」や池が新たに整備された。
中之島6.JPG
田蓑橋北詰には「蛸の松」の石碑とマツがある。
江戸初期に広島藩主・福島正則が京都から堂島川の畔に移植したといわれているクロマツで、その枝ぶりが蛸の泳ぐ姿に似ていたことからそう呼ばれるようになり、摂津の名所になったという。
ただしもとの場所は対岸の中之島センター付近にあり、木も明治末期に枯死したという。
その田蓑橋南詰の南側が広島藩蔵屋敷跡だ。
その発掘調査では荷物を蔵屋敷に運搬するために堂島川から船を入れる「船入」 が見つかっている。
絵図には厳島神社から勧請された鳥居が描かれている。
またもとの畠に川底の浚渫土で盛土して蔵屋敷が建設されたことがわかった。
中之島7.JPG
堂島川北岸の「ほたるまち」には親水施設がある。
堂島川には福島港(ほたるまち港)が整備された。

土佐堀川に架かる湊橋の南詰に「小説「泥の河」舞台の地」の碑がある。
橋下は船だまりになっており、宮本輝が描いた頃の面影を残している。
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この下流で北流してきた木津川(写真左)と合流している。
木津川に架かる昭和橋(昭和7年完成)を渡るとすぐ土佐堀川の端建蔵橋(昭和38年完成)、堂島川の船津橋(昭和38年完成)と連続しているが150度ほど曲がっている。
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土佐堀川と堂島川が合流して安治川となる。
その北岸(右岸)には大阪市中央卸売市場がある。
江戸時代には最盛期で130超の蔵屋敷が中之島や堂島、西天満などの水の便の良いところに立ち並んだ。
明治時代に廃止された跡地は、学校や工場、倉庫などになり、さらに近代的なビルが林立する街になった。
最近ではタワーマンションも出現しており、公園や遊歩道で子供が遊ぶ姿も見られるようになるかもしれない。

大和川河口から大阪南港魚つり園へ

ニュートラム南港口駅から南に行くと大和川に出る。
右岸沿いの遊歩道としては最西端だ。
対岸にあるサッカー場からの歓声が聞こえてきた。
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ニュートラム南港東駅の南西部には大和川では唯一の渡しとなった「丸高渡船」がある。
沖合の新波止や堺泉北港の岸壁に渡してくれる。
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国交省が所管する「大和川」はかもめ大橋の東詰までだ。
かもめ大橋は昭和50年完成した斜張橋だ。
西詰の橋下は釣り場として許可されており、多くの釣り人が糸を垂れていた。
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南港の南埠頭西端にある「大阪魚つり園」は1979年に無料の釣り場として開園した。
親子連れやカップルらが釣り糸を垂れていたが、それほど釣果はあがっていないようだった。
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南西端の白灯台からは対岸の「海とのふれあい広場」やその沖合に造成された人工干潟がうっすらと見えた。
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河口部や南港の岸壁には工場や倉庫などで立ち入りできないところが多い。
かつて「入浜権」をめぐって全国的に法廷闘争が繰り広げられた。
「入浜権」とは、「すべての国民が自由に海岸に立ち入り、海水浴や魚介類の採取などを享受できる権利」のことだ。
その「お詫び」に「大阪魚つり園」「海とのふれあい広場」などが整備されてきたといえる。

参考:
丸高渡船
http://marutakatosen.sakura.ne.jp/

大阪南港魚つり園
http://www.osaka-uoturien.jp/

大阪港の港湾施設の「立入禁止区域」
http://www.city.osaka.lg.jp/port/page/0000062374.html

住吉川を下る

阪神高速堺線の高架下で細江川と人工水路の十三間堀川が合流して住吉川となって西流する。
コンクリート護岸の川底は深いが、普段の水量はわずかだ。
しばらくすると住吉川のシンボルとされている「姫松橋」がある。
「我見ても ひさしく成りぬ 住の江の 岸の姫松 いくよへむらむ」(『古今和歌集』905番 詠み人しらず)
それにちなんで命名された。
『万葉集』などには「墨江」「清江」などとも記されている。
かつては住吉大社のあたりまで「住吉浦」「出見の浜」といわれる美しい松原の続く海岸だった。
波が打ち寄せ、水の澄んだ美しい入り江(湾)で、毎年春には潮干狩りで大いに賑わったそうだ。
新大和川の開削に伴って江戸時代中頃に新田開発で両岸の入り江が埋め立てられて残ったのが住吉川だ。
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左岸沿いにある住之江公園には大池に架かる太鼓橋がある。
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新なにわ筋の西側には水門があり、それを境に川の様相はがらりと変わって「運河」となる。
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左岸沿いに住之江下水処理場がある。
主に住之江区、住吉区を処理区域とし、嫌気好気活性汚泥法による処理水は住吉川に放流されている。
場内には74種のバラが約2000株生育されており、毎年5月上旬に一般公開されている。
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左岸を少し下った住之江抽水所にはふるさとをイメージした「せせらぎの里」がある。
せせらぎに水車小屋があり、水田や池がある。
その水は住之江抽水所の建物に降った雨水が再利用されている。
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大阪市東南部の抜本的な浸水対策として、平野区瓜破交差点から住之江抽水所(ポンプ場)まで長居公園通りの地下に総延長12.2kmの大下水道幹線「なにわ大放水路」が建設された。
その幹線は地下約30mにあり、雨水をポンプアップされた後に砂をろ過して住吉川に排水されている。

参考:
住之江公園
http://www.toshi-kouen.jp/staticpages/index.php/suminoe_points

住之江抽水所
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000144047.html

恩智川の「こいのぼり」とその源流

近鉄高安駅から東に行った恩智川・信貴乃橋の下流に約30匹の「こいのぼり」が泳いでいた。
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橋上から見下ろすと、藻の中を約30cmのコイが上っていた。
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「こいのぼり」のごとく川を上っていくと、至る所で大きなコイの群れが見られた。
これらは放流されたコイだ。
八尾翠翔高校付近ではカワウやシラサギの姿が見られた。
放流コイだけでなく、その稚魚や小魚もいるのだろう。
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法善寺地区の右岸に多目的遊水地が計画されている。

堅下駅の東方の大県橋で河川管理が変わる。
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恩智川は柏原市北部の高尾山麓を源とし、八尾市および東大阪市東部の生駒山西麓からの小河川を取り込みながら北流している。
大和川の付け替え前には「深野池」に注いでいたが、その新田開発後はJR住道駅付近で寝屋川に合流する寝屋川水系となり、大和川とは完全に分断された。
しかし恩智駅の南方では西方を流れる玉串川と近鉄線を挟んで約200mに迫まっており、かつての「大和川水系」をうかがわせる。

河川管理者が変わってコンクリート三面張りの川からその中を流れる溝になった。
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東へ直角して国道170号(東高野街道)に出ると暗渠になった。

新名所・梅田の「水辺」

梅田に新たな「水辺」ができた。
4月26日にオープンしたグランフロント大阪には「水辺」が創出されている。
北館の北側の「ザ・ガーデン」には約4000㎡の水と緑の空間が広がっている。
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北館の西側には南館、「うめきた広場」へと至るせせらぎがある。
「うめきた広場」にはその地上から地下一階へとつながる階段状のせせらぎがある。
狭山池博物館を設計した安藤忠雄氏がデザインを監修した。
流れ落ちていくさざ波が様々な模様を描き出している。
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北館と南館の9Fには屋上庭園「テラスガーデン」があるが、水辺はない。

北館の6Fのナレッジキャピタルの一角に「野菜工場」が展示されている。

参考:グランフロント大阪
http://www.grandfront-osaka.jp/

グランフロント大阪から南側の大阪駅を要する大阪ステーションシティへ直結した。
大阪駅プラットホームを覆う大屋根に降った雨は貯められてトイレなどで再利用されている。

ノースゲートビルディング11Fの「風の広場」はせせらぎがある。
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(撮影日2013.3.22)
14Fの「天空農園」は客が農作業できる畑がある。

サウスゲートビルディング南ゲート広場の1Fには「水の時計」がある。
滴り落ちる水糸が花などの模様を描き出し、1分ごとに時を知らせてくれる。
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(撮影日2013.3.22)
参考:大阪ステーションシティ
http://osakastationcity.com/

グランフロント大阪は西側に隣接するJR貨物梅田駅の7haを先行開発された完成した。
その向こう側にそびえる新梅田シティには地下道で行ける。
こんもりと樹木が繁った「中自然の森」には滝やせせらぎのほか、大型の噴水装置がある。
6月にはせせらぎでホタルが舞うなど豊かな生態系を育んでいる。
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(撮影日2013.3.22)
地下1階の「滝見小路」には昭和のレトロの商店街の一角に手押し井戸がある。

北側に広がる「花野」は日本人の原風景である里山を創出している。
雑木林や棚田、畑の中を小川がめぐり、野鳥、昆虫や植物などの命を育んでいる。
棚田では田植えや稲刈りなどのイベントが行われている。 
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(撮影日2013.3.22)
参考:新梅田シティ
http://www.skybldg.co.jp/

オオサカガーデンシティは西梅田の再開発に伴って建設されたビル群だ。
その一つの梅田ダイビルの正面玄関前の水辺には陶器の魚が群れ、地下へと水が流れていく。
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(撮影日2013.3.22)
ヒルトンプラザウエストの北東角の玄関口に「滝」が地下に落ちている。
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参考:オオサカガーデンシティ
http://www.osaka-gardencity.jp/index.html

阪急梅田駅に併設する阪急三番街は「川の流れる街」として知られている。
地下2Fに「トレビの泉」といわれる噴水があり、飲食店が並ぶ前を川が流れている。
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(撮影日2013.3.22)
参考:阪急三番街
http://www.h-sanbangai.com/

地下街のホワイティうめだの「泉の広場」には噴水がある。
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(撮影日2013.3.22)
参考:ホワイティうめだ
http://whity.osaka-chikagai.jp/

大阪駅の南側の大阪駅前第二ビルの地下に吹き抜けの大噴水がある。
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(撮影日2013.3.22)

こうして梅田の「水辺」をめぐってみると、時代とともに豊かな「水辺」になった。
噴水、人工水路が立派になり、自然豊かな「水辺」が創出された。
JR貨物梅田駅は3月末で完全に閉鎖され、「大阪の最後の一等地」の再開発が始まる。
緑地化する構想もあるが、今のところはっきりしていない。
ただ一ついえることは、魅力のある街づくりには潤いをもたらす「水」が必要条件になっていることだ。
新名所の今後に期待したい。

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