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高井田から国分へ

JR高井田駅北方の丘陵地に広がる高井田横穴公園は6世紀中頃から7世紀前半にかけて築造された総数200基以上と推定される横穴古墳群だ。
その中の一つに「ゴンドラ船」の線刻壁画が描かれていることで知られている。
ほかにも人物、鳥、馬など様々な線刻壁画があり、年2回一般公開されている。
数年前から「ゴンドラ船」はその保存のためにガラス越しの見学になった。
確かに数年前よりもコケが増えていた。
別の横穴には「帆かけ船」の線刻壁画ある。
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南を流れる大和川には国豊橋がある。
国道25号線に架かり、柏原市の高井田地区と国分地区を結んでいる。
江戸時代には渡しで両岸を結んでいた。
明治3年に初めて木橋が架けられた。
当初は「国分橋」と呼ばれたが、国分と高井田の間に架かることから「国高(くにたか)橋」となり、いつしか「国豊(くにとよ)橋」と呼ばれるようになったそうだ。
昭和7年にコンクリート製に架け替えられ、現在の橋は1999年に上流(東)側に架けられた。
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南詰には「風戸堤」の案内板がある。
江戸時代初め頃に築造された堤防で、「風土堤」「新町裏堤」などとも呼ばれた。
当時は大和川の度々洪水に見舞われてきたが、堤防の完成で南側に「新町」が形成され、堤の北側には「国分船」の船着場が設置された。
そのおかげで大阪と奈良の中間点にあたり、水路と陸路の要衝として栄えたという。
また江戸末期の儒学者・頼山陽がこの堤からの景観を「河内嵐山」と称賛したという。
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堤防下にある地蔵堂の裏の道はかつて「亀瀬越(龍田越)奈良街道」と呼ばれ、今も古風な町並みが残っている。
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その街道沿いに国分神社がある。
本殿背後の丘陵上には小さい円墳や方墳が10基ほどあり、その中でもっとも高いところにあるのが松岳山(まつおかやま)古墳だ。
全長約130mの前方後円墳で4世紀後半の築造とされている。
遊歩道を上っていくと、(後円部の)頂上に蓋と底に各1枚、側面に4枚の計6枚の石で組み合わせた石棺が残っている。
傍らには案内板のほかに「船氏墳墓」の石碑がある。
副葬品のほかに国宝の船氏王後首(ふなしおうごのおびと)の墓誌が発見されたと伝わっている。
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大和川南岸(左岸)の丘陵地に築かれていることから、大和川の舟運を支配した「船氏」を被葬したと考えられている。
今は木が茂って眼下に大和川を見下ろすことはできない。
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国道25号線に出てしばらくすると、道路沿いに「夏目茶屋の渡し」の案内板がある。
明治初期に現在の国道25号線が整備されるまで、ここから渡し船で対岸に渡って亀の瀬を経て奈良へ向かっていた。
渡し場に茶屋があり、ナツメが植えられていたのでそう呼ばれたという。
現在は右岸(北)の青谷青少年運動広場と結ぶ歩行者・自転車道の川端橋(かわばたばし)が架かっている。
「青谷吊り橋」とも呼ばれる大和川では唯一の吊り橋だ。
一度に通行できる最大人員15名で、揺らさないようにとの注意書きがある。
落ちないと頭でわかっていても、揺れると怖い。
幅員1mを両手で支えながら歩くと、橋長88mが一層長く感じられる。
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