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改訂版:針中野から駒川・今川の源流を訪ねる

近鉄は針中野駅の西方に駒川が流れている。
古くは高麗川(巨摩川)と呼ばれていたことから、周辺に百済や新羅からの渡来人が住んでいたと考えられている。
百済大橋の南東にある酒君塚公園内の小丘上に「酒君塚」の石碑がある。
墳丘の盛土下に「平塚」と呼ばれる長径35m以上、高さ2m前後の古墳の墳丘が確認されている。
円筒埴輪が出土しており、4世紀末の駒川・今川水系の首長墓と考えられている。
「酒君」については『日本書紀』の仁徳天皇43年の条に、百済王の一族である酒君に命じて献上された鷹を養わせたと記されている。
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その南方に鷹合神社がある。
その東南角にある「鏡池」と呼ばれる池があったというが、今は民家で確認はできない。
酒君が見失った鷹を池の水面に映ったのを見て喜んで捕えたという伝説がある。
周辺にはこれらの伝承に因んだ「酒君塚橋」「鷹匠橋」「鷹合橋」がある。

東方には湯里住吉神社がある。
由緒は不明だが、かつては須牟地神社、住吉二之宮、湯屋島(湯谷島)住吉といわれたという。
その南隣にある覚林寺境内の北西角に井戸がある。
案内板だけで公開されていないが、偶然見かけた時は石の井戸枠に蓋がされていた。
その西側には西除川が北上しており、昭和中頃まで左岸の堤が南北に長く残っていたという。
『摂陽群談』には「里の湯四天王寺茶臼山の南にあり世俗のいうこの所にむかし温泉あり。故に湯屋の里と伝ういつの世か退転せり。その旧泉を慕い井を掘らしめ湯谷井と称す」と記されている。
「湯里」は江戸時代には「湯屋島村」「湯谷村」と呼ばれて、この井戸から温泉が湧出していたという。
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長居公園通りから北流する駒川はコンクリート三面張りの典型的な都市河川だ。
それに対して東方を流れる今川はコンクリート護岸だが、親水整備された緑道や公園は春には桜並木になる。
かつては松原市天美で大和川に合流している今井戸川や西除川とつながっていたが、大和川付け替えで駒川は依羅池を水源とする細々とした川になった。
昭和50年頃には依羅池はすべて埋め立てられ、駒川や今川は平野下水処理場からの高度砂ろ過された高度処理水を導水した人工河川になった。
今川2.JPG

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