SSブログ

古市から駒ヶ谷へ歩く

近鉄古市駅の南側を東西に通る「竹内街道」(堺~大和・長尾神社)を東へ行くと南北に通る東高野街道と交差している。
北東方の東高野街道沿いに西琳寺がある。
7世紀前半に有力な渡来系氏族の西文氏(かわちのふみうじ)が建立した寺で、かつては広大な寺域を有していたという。
古市2.JPG
その南の小さな公園に「銀屋跡」の石碑がある。
かつてその向かいに江戸時代に両替商だった「銀屋」があった。
その塀には廃船された剣先船の舟板が使用されており、観光スポットになっていた。
2001年に宅地開発され、往時を偲ぶ姿が碑に描かれている。
古市1.JPG
古代に大和川と石川の合流地周辺に河内で最大の「市」といわれた「餌香市(えがのいち)」(会賀市)があったといわれている。
それが「古市」と呼ばれる由縁にもなった。
江戸時代には天領地として代官所が置かれ、交通の要衝地にある宿場町として賑わった。
「銀屋」など失われていく中で、今も残る伝統的な家屋がその面影を伝えている。
古市5.JPG
東へ歩くと羽曳野市水道局石川浄水場がある。
石川を水源とし羽曳野市の水道供給量の約30%を担う基幹浄水場だ。
昭和44年に供用を開始して以来40年以上経過して老朽化し、現在更新工事中だ。
その横に金刀比羅神社がある。
「河芳楼」と呼ばれた旅籠には「剣先船」や河内木綿の関係者が住み、その安全を祈願して祀られた。
古市3.JPG
その裏を流れる石川の堤防上に「古市渡船場址」の看板が立つ。
臥竜橋の30mほど上流にあり、対岸への渡船や柏原や大坂へ向かう「剣先船」の船着場があった。
古市6.JPG
金刀比羅神社の傍らには「大乗橋」の碑があり、その前を大乗川が流れている。
大和川付け替え前には大乗川は北流して平野川に合流していたが、高低差を合せるために石川に合流する東向きの流れとなった。
石川・臥竜橋と連続した大乗橋の先で石川に合流している。

石川上流の金剛大橋から下流の新石川橋にかけての両岸の河川敷は石川河川公園になっている。
様々なテーマで整備されており、子供も大人も憩える場になっている。
竹内街道となる臥竜橋を渡り、右岸を少し上った駒ヶ谷地区の公園の中にある池では、絶滅危惧種の「カワバタモロコ」が保護・育成されている。
古市7.JPG
参考:
石川河川公園「おおさかの公園」
http://www.toshi-kouen.jp/staticpages/index.php/ishikawa_top

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。