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富田林寺内町をめぐる

富田林寺内町は近鉄富田林駅の東方に広がっている。
江戸時代の趣を残した町並みは1997年に重要伝統的建造物群保存地区に指定された。
それを舞台にした多彩なイベントが開催されている。
9日と10日は「じないまち雛めぐり」が開催されていた。
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(興正寺別院の門前のひな)
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「富田」とは皇室御料の「屯田」に由来し、全国各地にその地名が残っている。
富田林もその一つで、古くは富田の芝と呼ばれた荒れ地だった。
中世に興正寺別院を中心にした寺内町が形成された。
南北各約530mの周囲に堀や土塁をめぐらした「城塞都市」だった。
18世紀頃の絵図に描かれた環濠や10mに及んだという土塁の面影はないが、石川左岸の河岸段丘上の要害地にあることはよくわかる。
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「7筋8町」の町割には直交する道路をわずかにずらして遠方までに見通せない「あてまげのみち」や「背割り水路」跡が残っている。
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現在、町内には江戸時代から昭和初期の伝統的建造物が約180軒ある。
その中でシンボルとして多くの観光客を集めているのが、1734(享保19)年頃の建物の面影を残す「旧杉山家住宅」だ。
かつては宅地開発計画もあったが、住民らの保存活動で市が買収・保存し、国の重要文化財に指定された。
旧田中家住宅には井戸があった。
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本町公園には河内地方で多用された水車が復元されている。
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江戸時代には富田林寺内町は河内木綿、紺屋染物業など商工業で発展した。
その後、河内最大の酒どころになった。
石川の伏流水の良水に恵まれ、「富田林の酒屋の井戸は底に黄金の水がわく」といわれるほどだった。
最盛期には51種、149店が軒を並べ、杉山家は造り酒屋の一つだった。
今では酒蔵は残っていない。
酒造りに利用されたかは不明だが、西方寺付近に井戸跡がある。
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東高野街道 と堺と水越峠を結ぶ富田林街道(千早街道)が交差する交通の要所にあり、東側を流れる石川の舟運が活躍した。
河南橋の袂には大坂と結ぶ剣先船の船着場があった。
左岸の崖上の町角(富田林市川面1)に「安永七年(1778)戊戍正月吉日」と刻印された灯篭が残っている。
今では家屋に囲まれて石川を望むことはできないが、当時は灯台の代わりになったそうだ。
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「河陽鉄道」(現在の近鉄長野線)の開通で石川の舟運が衰退した。
さらに道路整備が進んで人に流れは駅前周辺へ移動した。
その結果、寺内町の商業が衰退して歴史的な町並みが保存された。

参考:
富田林寺内町の探訪
http://www5d.biglobe.ne.jp/~heritage/index.html

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