SSブログ

造幣局の桜の通り抜けから桜宮へ

毎年恒例の造幣局の「桜の通り抜け」が4月16日から始まった。
大川沿いのソメイヨシノの開花は平年よりも早かったが、造幣局の桜もそうだった。
今年の花になった「天の川」は早くも色あせていた。
大川7.JPG
通り抜けの途中に「めがね橋」があった。
かつて旧淀川(大川)の船着き場になっていた入り江に架かっていたという。
大川6.JPG
造幣局北門から国道1号線を渡ると泉布観と旧桜宮公会堂がある。
ともに造幣寮(造幣局)の洋風建築物で、大阪市に移管され、国の重要文化財に指定された。
現在、日本庭園のある「旧桜宮公会堂」は結婚式場として民間活用されている。
大川5.JPG
昭和5年に架けられた桜宮橋は当時、長さ約190mの国内最大のアーチ橋で、全体が銀白色に塗装されていたことから「銀橋」と呼ばれて親しまれた。
現在は西向きの旧橋(写真左)と東向きの新橋(写真右)の二つのアーチ橋となっている。
新橋の歩道が広いのは天神祭の花火見物の混雑防止ためだという。
大川8.JPG
桜宮橋を渡って少し下流の造幣局の対岸に「水防碑」がある。
度々水害に見舞われ、堤防をわざとこわす「わざと切り」までした都島区の水防意識を啓発している。

日本庭園のある藤田邸跡公園に隣接して池がある。
大川10.JPG
桜宮橋の少し上流の堤に桜宮神社がある。
由緒によれば、もともとは野田村(現在の東野田町)の旧大和川の堤、字桜の馬場にあった。
元和6(1620)年に社殿が洪水で流され、漂着した中野村に改めて祀られたが、そこも低地で再び水禍に遭い宝暦6(1756)年に現在地に遷座されたという。
それ以降、境内や旧淀川左岸に桜が植えられて花見客で賑わう名所になった。
大川1.JPG
かつて鳥居前にあった「青湾」の石碑が公園にある。
その裏には「この湾の水 甘香にして茶に適す 汲みて尽きず青霞を吸うにまさる」と記されている。
この付近に水が渦巻く小さな湾があり、豊臣秀吉は「青湾」と名づけてその水を茶の湯に愛用したという。
1895(明治28)年に上水道ができるまで、水屋がこの付近で淀川の水を汲んで大阪市中の飲料水とした。
大川9.JPG
2011年にできた「大阪ふれあいの水辺」は、水都大阪の新たな水辺の魅力づくりのために貯木場跡が砂浜の広がる水辺になった。
水質の浄化施設も整備されているが泳ぐことはできない。
大川2.JPG
昭和11年に源八橋が架橋されるまでは「源八渡し」があった。
元禄時代以前から存在しており、都島出身の俳人・与謝蕪村が「源八をわたりて梅の主かな」と詠んだことでも知られていた。
この下流には大学の艇庫があり、春に行われるレガッタレースの練習する光景が見られる。
大川3.JPG
都島橋の少し下流の左岸に「大阪水道発祥の地」の碑がある。
コレラの流行で良好な飲料水の提供と消防力強化のために上水道の設置が急務となり、明治28年に大阪市ではじめて水源地として完成したのがこの桜宮水源地だ。
人口増加で明治34年に拡張されたが、大正3年の柴島浄水場の完成に伴い大正9年に廃止された。
今は石碑と大川からの取水施設の一部のレンガ造りの桝が残っている。
跡地は都島本通沿いの総合医療センターや「桜宮リバーシティー」の高層マンションになった。
大川4.JPG
参考:
都島区役所
http://www.city.osaka.lg.jp/miyakojima/

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。