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我が郷土シリーズ⑦杭全神社の「御田植神事」

毎年4月13日に杭全神社で「御田植神事」が行われている。
600年以上の歴史があり、府の無形民俗文化財に指定されている。
都市化で田畑はなくなり、神事も存続の危機に陥ったが、「御田植神事保存会」が結成されて継承された。
これまで4月13日の昼間に行われてきたが、大正時代までは1月13日の夜間に行われていた。
江戸時代には子の刻(午後11時から12時過ぎ)に行われていたという。
そこで昨年の杭全神社創建1150年祭では午後7時から行われた。
今年もそれに続いて午後7時から行われた。
杭全神事3.JPG
「田」に見立てられた拝殿に「観客」が座ると、能面の「翁」や「牛」が登場した。
田ならしや水口つくり、籾種まきなどの農耕所作をし、その合間に「観客」の掛け声が入る。
杭全神事1.JPG
(撮影日:2011.4.13)
「翁」が「次郎坊」に食事を与えて、糞尿する所作を行った。
杭全神事2.JPG
「次郎坊」を背負った男と「早乙女」が登場して、松葉の「苗」の田植の所作をして神事が終わった。

豊作を祈願して行われる御田植祭には、実際に田植を行う神事と農作業の所作を行う神事とがある。
大阪では前者の住吉大社、後者の杭全神社が知られている。
杭全神社では猿楽の形で演者(仕手)と観客(地方)と掛け合いしながら進んでいく。
特長的なことは人形に食事させ糞尿させる所作があることだ。
厳かな神事に中にあってユーモラスな所作は辛い農作業の中の少しの安息を表現しているようだ。
そして食事して糞尿を出す人間の生理現象と自然の循環を表現することで五穀豊穣を祈願しているのかもしれない。

平安初期に征夷大将軍坂上田村磨の子の広野麿が杭全荘を領地として賜ってこの地に居を構え、その子の当道が862(貞観4)年に氏神として素盞嗚尊を勧請して祇園社を創建したのが杭全神社の始まりだ。
「祇園社」「熊野権現社」と呼ばれていたが、明治時代に社号を杭全神社と定められた。
参道の東側の高まりに「平野環濠跡」の石碑がある。
かつて平野郷囲んでいた環濠の名残で、循環式の水路として復元された水辺にはコイが泳ぎ豊かな植生がある。
杭全神事5.JPG
数年前には宇賀神社が鎮座する弁天池の畔に「神田」ができた。
神事に使われた籾もここで出来たたものだ。
杭全神事4.JPG
(撮影日:2012.7.11)
参考:
杭全神社
http://www.kumata.jp/

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