SSブログ

大和川駅から加賀屋新田会所跡へ

阪堺線大和川駅を降りるとそこは大和川の堤防だ。
大和川駅1.JPG
堤防下では阪神高速大和川線の工事中だ。
いずれ駅も含めてこのあたりの景観は変わることだろう。
川ではユリカモメが群舞していた。
大和川駅2.JPG
その下流の大和橋は紀州街道筋で、大和川の付け替えの際に唯一架けられた公儀橋だ。
橋上で毎年、8月1日に住吉祭りでの神輿受渡式が行われている。
大和川の付け替え300周年を記念して、川の渡御が復活した。(2011年の様子)
大和橋.JPG
(撮影日2011.8.1)
阪神高速堺線高架の真下に「十三間川樋門記念碑」がある。
大和川の浄化水を導水した「十三間(堀)川」のせせらぎが北へ流れていく。
十三間堀川1.JPG
少し下流の堤防下に高砂神社(北島3)がある。
元文2(1737)年に北島新田の開墾の際に加賀屋甚兵衛が創建した。
出身地の喜志村(現在の富田林市)の産土神の天水分大神を勧請したという。
「水占い」ができる。
加賀屋新田1.JPG
その西方にある高崎神社(南加賀屋4)も宝暦5(1755)年に加賀屋甚兵衛が産土神の天水分大神を勧請して創建した。
鳥居前の古風な民家の前に井戸がある。
加賀屋新田3.JPG
少し北の加賀屋緑地に加賀屋新田会所跡がある。
延享2(1745)年に加賀屋甚兵衛がこの周辺の新田開発を始めた。
北へと拡大したその総面積は今日の大阪市域のほぼ3分の1になるそうだ。
その拠点とあった「会所」で、小作人からの年貢米の徴収と貯蔵、新田の堤防や水路などの維持管理業務などを行った。
宝暦4(1754)年に建造された建物が一部現存しており、平成13年には大阪市有形文化財・史跡に指定された。
加賀屋新田5.JPG
小堀遠州流の築山林泉式庭園には「心字池」があり、茶室「鳳鳴亭」から望める。
かつて池の水は屋敷の外に流れており、十三間川を経て道頓堀川とつながっており、舟で芝居見物に出かけたという。
木橋にある樋門がその名残を残している。
加賀屋新田4.JPG


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。