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細江川から住吉川へ

長居公園通りの少し南側を「細江川(細井川)」が流れている。
古代には「住吉津(墨江津)」の入り江に注ぎ、『万葉集』などにも詠まれた。
かつてはJR長居駅に西側にあった「大門池(長居池)」を水源とし、神須牟地神社の環濠とつながっていた。
細江川4.JPG
現在は南住吉2丁の住宅街から千躰交差点まで人工のせせらぎとして復活した。
細江川2.JPG
交差点から北西には開渠で雨水などのコンクリート三面張りの排水溝と化す。
細江川3.JPG
住吉大社や住吉公園の南縁を流れ、一つ橋には住吉大社の境外に末社・浅沢社がある。
「弁天さん」ともいわれ、市杵島姫命 (いちきしまひめのかみ) を祀っている。
かつて名所とされたカキツバタが復元されている。
細江川1.JPG
住吉大社の西の鳥居付近には大きな灯籠が並んでいる。
境内に約600基ほどあり、船舶の関係者や問屋など全国の業者から海上安全を祈願して奉納された。
優雅で大きなものが多く、当時では「広告塔」としての意味合いもあったという。
住吉大社5.JPG
R26号に至る住吉公園内を東西に走る石畳の「汐掛道」にも灯籠が並んでいる。
その多くは住友家が奉納したもので「住友灯籠」と呼ばれている。
「汐掛道」はかつて住吉大社の神事行う馬場で、「出見(「いでみ)の浜」へ至る参道だった。
公園には「花と水の広場」や「心字池」がある。
人工の池だがサギなどが佇み、市民の憩いの場だ。
住吉公園1.JPG
R26沿いに住吉高燈籠(たかどうろう)がある。
江戸時代中頃に「出見の浜」に底辺12m四方の石垣の上に高さ21mの木造の常夜灯が築造され、神前への灯明とともに灯台としての役目を担った。
もとは現在地から西へ約200mのところにあり、現在はその顕彰碑がある。
台風で倒壊したり、道路工事で撤去されるなどして現在地に移築された。
高灯籠.JPG
阪神高速堺線高架下の町角に「剣先船の碑」(浜口西1)がある。
剣先船は江戸時代の大阪の川船の一つで、大坂と亀の瀬などと結ぶ荷物運搬船として活躍した。
宝暦2(1752)年には300隻ほどが運航していたという。
剣先船.JPG
阪神高速下で「十三間川」のせせらぎが細江川に合流し、住吉川に合流して大阪湾に注いでいく。
住吉川.JPG
十三間(堀)川は元禄11(1698)年に河村瑞賢が、木津川と住吉浜を結ぶ北から南へ流れる水路として開削された。
宝永元(1704)年の大和川付け替えで大和川まで延長された結果、流れ込む土砂の堆積で川床が上がり、流れが南から北に変わった。
昭和45(1970)年に阪神高速堺線が完成して以降、住吉川から以北は埋め立てられ、残った以南は人工のせせらぎとして復元された。

参考:「いこいこ!おおさかの公園 住吉公園」
http://www.toshi-kouen.jp/staticpages/index.php/sumiyoshi_top


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