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平城京跡の「弥生のムラ」をゆく

「平城京左京三条二坊十四坪の下層遺構」の現地発掘調査説明会に参加した。
場所は近鉄新大宮駅から南西へ徒歩約10分の奈良市役所の南向かいの奈良警察署跡地だ。
東に佐保川、西に菰川に挟まれた位置にある。

昨年12月には奈良時代の建物や井戸などの遺構の現地説明会を行われた。
今回はその下層が調査された。
調査区の東南部は近年まであったため池 (東池) で消滅しており、それを除くほぼ全域で水田遺構が確認された。
約7㎡の 「小区画水田」が多く、3~50㎡の区画が約 500確認された。
ひとつの田んぼを小さく区画するのは、起伏のある微地形に水平面からなる田んぼを確保しやすくするため、湛水時の水田耕作土下への浸透による水抜けを小さくするためなどの諸説ある。
田んぼを区画する畦畔(写真の白い線)には、畦幅 1m弱の大畦畔と 畦幅30cmほどの小畦畔があった。
平城宮跡田んぼ2.JPG
調査区の東南部にあった「ため池 (東池)」が緩やかな高まりで、全体として調査区の東から西へ「棚田」のように水が流れていた。
そして北辺で確認された流路から水を引き入れ、出土した流木や木材などが「堰」だった可能性があると考えられた。
平城宮跡田んぼ3.JPG
水田遺構を覆う堆積層から収穫具である石庖丁が4点、 流路を埋めた堆積層から少量の弥生土器片が出土したことから、水田遺構の年代は約2300~2400年前の弥生前期の可能性が高く、中期には埋没したと考えられている。
ただ出土遺物が少なくて特定はされていない。
出土遺物が少ないのは、 当時の人々によって持ち込まれて残された無機的なゴミが少ないためだという。
平城宮跡田んぼ1.JPG
(上層は弥生中期、下層弥生前期と推定)
御所市の中西遺跡・秋津遺跡など奈良盆地西南部で大規模の水田遺構が奈良盆地北部でも確認できた意義は大きいという。

参考:
奈良県立橿原考古学研究所
http://www.kashikoken.jp/
 

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