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門真南から「深野池」へゆく

「門」とは出入口、「真」とは水たまりのことで、「門真」とは船泊まりのことだ。
門真市南部の三ツ島遺跡ではその名残の全長10m超の巨大な「くり舟」が見つかっている。

地下鉄門真南駅の西側に中央環状線、北側に第二京阪道路が走っている。
古川はその北側から中央環状線の中央部の近畿自動車道高架下を数百mほど南流しており、道路建設に合わせて改修されたと見られる。

堤根神社が鎮座する薭島(ひえじま)の民家にあるクスの巨木が古川にせり出している。
樹高約10m、幹周り7m、推定樹齢は約400年とされ、大阪府の天然記念物に指定されている。
門真1.JPG
門真市北島はハス田が点在し、「河内蓮根」の産地になっている。
江戸後期に菜種や木綿のほか蓮根栽培が活発になった。
明治維新後、貧弱な自生種と品質・収量性に優れた「加賀蓮」「備中蓮」と品種改良して、全国的に広まった。
門真2.JPG
古川・北島大橋の南東詰に京阪大和田駅の北東方に鎮座する堤根神社の御旅所がある。
古代の淀川は現河道より南方を流れていた。
『記紀』には仁徳天皇が淀川の氾濫から守るために「茨田堤」を築造したと記されている。
その石碑が大和田の堤根神社や寝屋川市大間の淀川堤防上にある。
それらと薭島の堤根神社まで築造されたと推定されている。
それによって低湿地の開拓が進み、近世には豊かな水郷農村が形成された。
その暮らしから生み出されたのが「段蔵」「バッタリ」だ。

門真運転免許試験場の北側の門真市一番町に「段蔵」とハス田が残っている。
石垣で周辺より高く築いて水害から家財を守った。
門真4.JPG
門真市南野口町には「バッタリ」が残っている。
かつて周辺には「千石沼」といわれる低湿地で、川舟が往来した。
「バッタリ」とは水路の水位調整する閘門のことだ。
明治初期に多く設置されたが、周辺の宅地開発などで失われていった。
門真5.JPG
門真市東部の岸和田に弁天池公園がある。
そのすぐ東方には寝屋川や深北緑地が広がっている。
かつては北から寝屋川、南から旧大和川の本支流が流れ込んでいた「深野池」があり、大和川の付け替えで新田開発された。
その名残が弁天池で、親水公園として整備された。

明治43年に京阪電車が開通し、道路整備が進んだ。
門真市は現在のパナソニックなどの工場誘致で発展した。
2010年に完成した第二京阪道路(写真奥)沿いに、今も「水郷」の面影を残している。
門真3.JPG

参考
門真市役所「門真市紹介」
http://www.city.kadoma.osaka.jp/shisei/k_shokai/index.html

ブログ版『大和川水紀行』
「堤根神社の「茨田堤祭」」
http://fuji-u.blog.so-net.ne.jp/2012-08-26
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