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改定版:野崎から深北緑地へゆく

JR学研都市線野崎駅から東へ上る参詣道を10分ほど行くと、のざき観音慈眼寺がある。
生駒山地北部にある飯盛山(標高314m)の中腹に位置し、境内から河内平野を見下ろせる。
野崎まいり1.JPG
毎年5月1~8日に「野崎まいり」が開催され、大道芸などの多彩なイベントで賑わう。
江戸時代元禄期より伝わる行事で、正式には「無縁経法要」といわれ有縁無縁のすべてのものに感謝してお経をささげる行事だ。
野崎まいり6.JPG
(撮影日:2012.5.6)
駅の方へ少し下ったところに東高野街道が南北に通っている。
南へ行った街道沿いに東部配水場の東側に「メノコ橋」と刻印のある石の欄干がある。
「明治三十七年八月築架」とも刻印され、東高野街道に架かっていた井路は東部配水場建設に伴いなくなった。
弘法大師が修行中に10日ほどその橋の欄干を寝床(ネドコ)にしたとの伝説があり、「ネドコ」が「ネノコ」、さらに「メノコ」に転化してそう呼ばれるようになったという。
野崎まいり5.JPG
元禄期に寺が再興され、大和川の付け替えに伴う新田開発で交通が整備されると、「野崎まいり」が流行して「大坂」からの参詣者が増加した。
その船路は「大坂」の天満・八軒屋浜から大川、寝屋川、谷田川を上った。
屋形船では川岸の景色を眺めて川遊びをしながら船旅を楽しんだという。
その様子は『河内名所図会』や落語などの文芸に描かれた。
「野崎小唄」では「野崎参りは 屋形船でまいろ どこを向いても 菜の花ざかり・・・」と唄われた。
その船着場の「観音浜の由来」の石碑がJR野崎駅前の南方の谷田川沿いにある。
野崎まいり4.JPG
陸路は「東高野街道」のほかに八尾と枚方を結ぶ「河内街道」、新たに整備された「大坂」の京橋から東へ「東高野街道」へ至る「古堤街道」があった。
寝屋川・西村橋の道路角には「野崎観音」へ案内する石標が残っている。
野崎まいり2.JPG
この周辺は北から寝屋川、南から旧大和川の本支流が流れ込む「深野(ふこの)池」が広がっていた。
大和川の付け替えで新田開発された。
寝屋川を少し上った深北緑地にはその名を残す「深野池」があり、寝屋川の洪水時の遊水池になっている。
野崎まいり3.JPG

参考:
のざき観音慈眼寺
http://www.nozakikannon.or.jp/

ブログ版『大和川水紀行』<門真南から「深野池」へゆく>
http://fuji-u.blog.so-net.ne.jp/2014-08-01
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