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柏原市立歴史資料館春季企画展『江戸時代の国分村』から

18日、柏原市立歴史資料館で開催されている春季企画展「江戸時代の国分村」に行った。

江戸時代に「河内国安宿(あすかべ)郡国分村」があった。
現在の国分のほか田辺や旭が丘の一部に広がる村だった。
奈良街道などが通り、北に流れる大和川の「国分船(剣先船)」の舟運の交通の要衝地だった。
しかし大和川は東方の芝山を迂回して大きく北へ湾曲しており、芝山の南側の堤防への水当たりが強くて、その南側は古くから洪水被害に見舞われてきた。
水田が水につかりとなかなか水が引かず、その排水不良を改善するために芝山の西に掘削されたのが田輪樋(たのわのひ、たのひ)だ。
国分村1.JPG
樋の長さは123間(224m)で、内法は5尺(150cm)四方だった。
樋の内側は四面とも板張りだった。
樋の入口部分には、水量を調節する戸関が二箇所に設けられてた。
一箇所は南からの悪水(排水)を抜くもので、もう一箇所は田へ水を送る用水の余った水を流すためのものだった。
大和川の樋の出口には逆流するのを防ぐために川の左岸と平行に長さ135間(245m)の堤が築かれた。
その時の樋は昭和25年のジェーン台風で壊れ、その西側に新たに築かれた。
国分村2.JPG
「菱牛(ひしうし)」と呼ばれる水制工が大和川にも使われたことが絵図からわかった。
これは4本の木材をピラミッド状に組んで横方向に木材をつないだもので、これを川の中に置いて流れを緩めたり、流れる方向を変えた。
このような水制工は地域や川の状況に応じて様々な構造や大きさのものが作られた。
国分村3.JPG
参考:
柏原市役所文化財課
http://www.city.kashiwara.osaka.jp/docs/2016032700083/
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