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久宝寺駅から太子堂へ

JR久宝寺駅南出口前に「久宝寺遺跡の碑」がある。
久宝寺遺跡は東西約1.6km、南北約1.7kmに広がる縄文後期~近世にかけての複合遺跡だ。
旧大和川(長瀬川)と平野川に挟まれた扇状地低地にある。
近畿自動車建設に伴う発掘調査で「準構造船」が見つかっており、「河内湖」の港があったことをうかがわせている。
南口のロータリーの自転車駐輪場にSL(C57)の動輪が展示されている。
かつて関西本線で同型機が急行「大和号」を牽引していた。
龍華6.JPG
この付近には関西本線(大和路線)の上りと下りのホームの間に竜華(りゅうげ)操車場があった。
昭和61年に廃止された後、下りホームを北側に寄せて、その跡地が再開発された。
公園、病院、高層マンションなどができ、その歩道沿いに「せせらぎ」がある。
龍華2.JPG
これらの水は西側に建設された「竜華水みらいセンター」の高度処理水が活用されている。
処理施設は地下にあり、その上部はスーパーなどの民間施設がある。
今春、その道路沿いにも「せせらぎ緑道」が完成した。
環境用水のほかに公園の散水用水として活用されている。
楠根川、長瀬川、平野川、大正川に放流されて、河川の維持・浄化用水となっている。
龍華1.JPG
ジョーシン久宝寺店の南側を走る道路沿いに「流水紋銅鐸出土地」(春日町1)の石碑がある。
レプリカが八尾市立埋蔵文化財センターに展示されている。
一帯は跡部遺跡で、弥生中期頃と見られる高さ46.6cmの銅鐸の埋納壙と埋納施設が出土した。
銅鐸は弥生時代に祭祀に用いられたと考えられる青銅器だ。
龍華5.JPG
南へ行くと国道25号線沿いに大聖勝軍寺(だいしょうしょうぐんじ)がある。
門前の道路沿いに「守屋池」がある。
聖徳太子が迹見赤檮に鏑矢で物部守屋を射させ、秦河勝がその首を洗ったとの伝承がある。
付近は飛鳥時代に物部氏と蘇我氏が仏教をめぐって争った古戦場だ。
聖徳太子は戦勝祈願のため四天王を祀り、その加護によって勝利してこの寺を建立したといわれ、「下の太子」と呼ばれている。
龍華4.JPG
「八尾」の地名の由来には、
・古代には弓や矢を生産する部族が多く集まり、出来た矢を背負って運ぶことが多かったことから「矢負い」となり、「矢尾」(八尾)に転じた
・旧大和川がこの地を流れていて、洪水を防ぐ堤を作るために「八百」(たくさんの意)の杭を打ったことから転じた
などの説がある。

参考:
大阪府庁「下水道」
http://www.pref.osaka.jp/life/list2.php?ctg02_id=63

八尾市立埋蔵文化財センター
http://www.kawachi.zaq.ne.jp/zyao_maibun/center/

八尾市役所「八尾を知る」
http://www.city.yao.osaka.jp/category/2-0-0-0-0.html
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