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JR貨物梅田駅から「蜆川」跡をゆく

JR大阪駅の北側に広がるJR貨物梅田駅がその歴史を終えた。
1874(明治7)年に大阪駅が開設された。
鉄道と水運を結ぶために堂島川から駅の西側を結ぶ「梅田運河(梅田入堀川)」が開削された。
1928(昭和3)年に貨物取扱業務を行う梅田駅が新設された。
梅田5.JPG
(大阪駅・ノースゲートビルディング8階から望む)
かつてその「梅田運河」と交差する「蜆(しじみ)川(曽根崎川、梅田川、福島川)」が東西に流れていた。
堂島の大阪中之島合同庁舎前には「梅田橋」を冠したビルがある。
梅田17.JPG
少し東を走る阪神高速道路の高架下に「出入橋」の欄干が残っている。
堂島川へと至る「梅田運河」に架かる橋で、「蜆川」に架かるのは「緑橋」といわれ、この付近で交差していた。
梅田18.JPG
四ツ橋筋に架かっていた「櫻橋」の石碑が東側歩道にある。
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堂島アバンザの北東角に薬師堂が水辺に浮かんでいる。
推古天皇の時代には薬師如来を祀ったお堂があったことから「堂島」の由来になったという。
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曽根崎新地1丁目の町中に「曽根崎川(蜆川)」などの案内板がある。
梅田12.JPG
御堂筋に面した滋賀銀行ビルの北西角には「史跡 蜆橋跡」の石碑が埋め込まれている。
梅田10.JPG
大江橋北詰から少し東側に「難波小橋」が架かっていた。
この付近で堂島川と分かれ、新地をめぐって堂島の西端で再合流していた。
大阪高裁前の道路を挟んだ向かいに「船入橋」の石碑がある。
鍋島藩蔵屋敷の入堀に架かっていた橋だ。
大阪高等裁判所構内の発掘調査でその蔵屋敷遺構の一部が出土し、長大な船溜、屋形、米蔵などが並んでいたことがわかった。
現在、護岸や遊歩道が整備中だ。
梅田11.JPG
元禄時代に河村瑞賢が「蜆川」を改修して堂島新地や曽根崎新地を開発した。
『摂津名所図会』には、元来この川が淀川の本流で川幅を縮めて作ったところから「縮(ちぢめ)川」と呼ばれ、それが訛ったものだという。
1909(明治42年)の北の大火後、瓦礫の捨て場になって一部が埋立てられた。
1924年(大正13)に残った川も埋立てられて姿を消した。
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