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弥刀から小阪へ長瀬川を下る

近鉄大阪線弥刀駅から北東に彌刀神社がある。
古大和川の自然堤防の微高地に鎮座し、神社から西に延びる参道は旧大和川(長瀬川)の右岸にあった船着場と通じていたという。
水上交通の拠点として発展し、その安全を祈願して「速秋津日子神」などが祀られている。
所在地の「近江堂」は弥刀→水戸(ミナト)→大水戸(オオミナト・オオミト)→近江堂(オウミドウ)と転じたという。
『続日本紀』には762(天平宝字6)年6月21日に「河内国の長瀬川(旧大和川)の堤が決潰した。のべ二万二百余人を動員して修造させた。」と記されている。
創建年代が不明なのは、その由緒となる社殿などがその激流で流出したためだという。
長瀬川4.JPG
線路を越えた長瀬川沿いに「水と緑の金岡公園」がある。
右岸の公園は増水時の一時貯留施設となっている。
長瀬川3.JPG
公園の西方にある長瀬神社には摂社・雨之神社がある。
長瀬川8.JPG
左岸沿いの長瀬北小学校付近は旧大和川の「吉松浜」と呼ばれる剣先船の積み場や渡しがあった。
その南側敷地は大和川の付け替えで開拓された「吉松新田」の会所跡だ。
昭和51年に小学校建設で姿を消した。
長瀬川2.JPG
長瀬駅前を流れる長瀬川は自転車置き場で暗渠化されている。
その西方に波牟許曽(はむこそ)神社がある。
境内には「御神水」を安置する祠や龍神を祀る小社が多い。
「ハム」は蛇、「コソ」は社の意で、「蛇草(ハグサ)」の地名の起源になったとの伝承があり、水神とのゆかりの深さがうかがえる。
延喜式にも記される古社で、明治末期に近隣八社とともに長瀬神社に合祀されたが、再度旧地に遷座されて社殿等が建立された。
長瀬川1.JPG
菱屋西小学校から東へ500mほどの所に彌栄(いやさか)神社がある。
西側は大雨時の川筋で、その堆積土砂で境内が高くなっている。
北参道に旧大和川の堤防上にあった「根上がりの木」がある。
長瀬川5.JPG
その東側の「中小阪」は環濠集落を形成した。
伝統的な民家が点在しており、舟板を再利用した塀や井戸がある。
長瀬川6.JPG
北方の「下小阪」には小坂神社がある。
かつてこの付近には旧大和川支流の自然堤防の東側に後背湿地が広がっていた。
水田開発した移住者らは洪水や干ばつで苦しみ、元禄時代に吉野の水分大神などを祀ったことに始まるという。
明治5年に小坂神社に改称された。
長瀬川9.JPG
その東側には司馬遼太郎記念館がある。
司馬遼太郎の自宅と氏の約2万冊の蔵書を収める安藤忠雄さん設計の建物がある。
郷土を代表する作家の命日を「菜の花忌」として偲び、この頃には菜の花が町を彩る。
近鉄小阪駅西側を流れる長瀬川にもあった。
長瀬川7.JPG
参考:
司馬遼太郎記念館
http://www.shibazaidan.or.jp/
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