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東日本大震災から5年、「住之江区防災フェア」から

東日本大震災から5年、被災者はもとより多くの人に「想い」が流れていることだろう。
復旧・復興、福島第一原発事故、まだ道半ばのようだ。
来るべく巨大地震だけでなく、毎年頻発する水害など「災害列島」に生きる我々がそれに備えて「防災」に努めることが災害犠牲者に報いる術の一つだと思う。
その一つの機会として5日、住之江公園・児童広場で開催された「住之江区防災フェア」に参加した。

「災害用トイレ」の展示コーナーがあった。
テントの中に便器があり、コンテナ容器に袋をして糞便を溜めて凝固剤で固めてから捨てるようになっている。
住之江公園2.JPG
「持ち出し品なぁに?クイズ」では12品目挙げられていた。
非常食(アルファ米)、水、救急セット、携帯ラジオ、懐中電灯、厚手の軍手、タオル(ハンカチ)、ポリ袋、ガムテープ、レインコート(防水・防寒・チリ除け)、ラップ、新聞紙。

「水消火器で的あてゲーム」で子供たちが消火器の使い方を学んだ。
住之江公園1.JPG
「サバイバル体験コーナー」では空き缶で「サバめし」が作られた。
350mlアルミ缶の筒の上下二か所ずつを穴を開けて、牛乳パックを燃料にした「コンロ」の上に、350mlアルミ缶にコメと水を入れて炊き上げる。
住之江公園3.JPG
児童遊戯場にある広い砂場で小さな貝(5~12mm)を見つけた。
一帯は古代・中世の海だった頃を思い出させてくれた。
住之江公園4.JPG
『古事記』『日本書紀』『万葉集』などに記される「墨江」「住吉」「清江」は、現在は「墨江(すみえ)」「住吉(すみよし)」「清江(きよえ)」と呼ばれている。
古代はいずれも「すみのえ」と称されており、同一の地名だった。
上町台地の西側は大阪湾の沖積活動により砂州が形成されて陸地化が進んだ。
古代の海岸線は現在の阪堺線付近、中世の海岸線は現在の阪神高速堺線付近とされている。
江戸時代の新田開発や明治時代以降の埋め立てによって広がった。
それに伴って「すみのえ」から地名が分かれ、現在の「住之江区」になった。

住之江公園は広域避難場所とされているが、海抜0.7mと地盤が低く、「津波の浸水」が課題に挙げられている。
防災には地域の特性に応じた備えが必要だ。
それにはその「地域」の歴史を知ることだ。
その一助になることで被災者への報いになればいいと思う。

参考:
おおさかの公園「住之江公園」
http://www.toshi-kouen.jp/staticpages/index.php/suminoe_top

住之江区役所「防災マップ」
http://www.city.osaka.lg.jp/suminoe/page/0000262785.html
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