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「古市大溝」を歩く

近鉄古市駅から白鳥通りを西へ行くとイズミヤがある。
その向かいに臨時の駐車場がある。
かつて灌漑用ため池だった「細池」の跡地で、「古市大溝」の名残だという案内板がある。
古市大溝1.JPG
「古市大溝」は幅20m、深さ5~7mで、古墳時代に古墳造営のために掘られたという運河説や、飛鳥時代に掘られた灌漑説がある。
『日本書紀』には仁徳天皇14年に「大溝を感玖に掘る。乃ち石河の水を引きて(中略)四万余頃の田を得たり」と記される「感玖の大溝(こむくのおおうなで)」という説もある。
大溝の掘削で古墳の一部が破壊されていることや奈良時代の遺物しか発掘されていないことから奈良時代に掘削されたとする説もある。
時期や用途はともかくとして、その名残を歩いた。
その流路は『古代学研究 177号』(2007.6月刊行)に所収されている高津和夫「土木技術からみた古市大溝」)を参考にした。

石川・河南橋(富田林市喜志)付近から導水して日本武尊白鳥陵の東側を通り、「細池」に至る。
その先にはR170(大阪外環状線)沿いに小さな緑地がある。
道路を渡った仁賢天皇陵に隣接する上田池と下田池がある。
古市大溝9.JPG
藤井寺市野中浄水場付近を通り、仲哀天皇陵の南側に出る。
その近辺の住宅街にその面影を残す空き地やため池がある。
古市大溝2.JPG
(羽曳野市高鷲5丁目)
中池水路河川浄化施設から近鉄線をくぐる細い道の先に水路がある。
古市大溝5.JPG
北へ行くと雄略天皇陵に東側の大師池に出る。
古市大溝6.JPG
さらに北へ行くとカラ池がある。
古市大溝7.JPG
府立藤井寺高校から北西へと流れを変える。
松原市小山地区では水路は暗渠化されてわかりにくい。
東除川の大堀上小橋付近で合流していた。
古市大溝8.JPG
参考:
羽曳野市
http://www.city.habikino.lg.jp/10kakuka/34shakaikyoiku/03bunkazai/04isekishokai/05kouki/t_k_oomizo.html

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