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大和高田の秋祭りと「旧高田川」をゆく

9日、近鉄南大阪線高田市駅前に広がる片塩商店街で「おかげまつり」が開催された。
商店街の北側を東西に走る横大路通りは 古代から浪速と伊勢を結ぶ街道として賑わった。
江戸末期にはお伊勢さんへ向かうおかげ参りが盛んになり、 当時の人たちはその一行に薬や湯茶などの接待してもてなしたという。
その往時を再現して毎年春と秋に多彩なイベントをしてもてなしている。
旧高田川6.JPG
駅の北側には石園座多久虫玉神社(いわぞのにいますたくむしたまじんじゃ、いそのにますたくむしたまじんじゃ)が鎮座している。
「竜王宮」とも称され、横大路を沿うように大神神社を「龍の頭」、当神社を「龍の胴」、長尾神社(葛城市)を「龍の尾」とする伝承がある。
また第三代安寧天皇の「片塩浮穴宮」の伝承地でもある。

神社前を南北に走る通称「中央道路」はかつての「高田川(花内川)」の河川跡だ。
1932(昭和7)年から11年かけて上流の東中地区から下流の神楽(JR和歌山線橋梁付近、写真左側の下り道が旧高田川跡)まで付け替え工事が行われ、川の氾濫による水害が少なくなって今日の大和高田市の発展につながった。
1948(昭和23)年には廃川になった旧高田川を埋め立てて道路にする工事や近鉄線やJR線の駅舎工事や高架化工事などが行われた。
旧高田川1.JPG
その中心市街地を南北に貫く基幹道路でありながらS字に蛇行していることや、その両側の高まりにその土手道(写真左側が旧高田川跡)だった名残がうかがえる。
旧高田川2.JPG
現在、道路沿いにかつて架橋されていた顕彰碑が五か所(南側から「雛倉橋」「古川橋」「好仁橋」「天神橋」「大橋(相生)」)ある。
旧高田川3.JPG
(「好仁橋」をゆくだんじり)
旧高田川4.JPG
(「大橋(相生)」)
1600年に大和五ヶ所御坊(「今井御坊(称念寺)」「畝傍御坊(信光寺)」「御所御坊(圓照寺)」「田原本御坊(浄照寺) 」)の一つとされた「高田御坊(専立寺)」が建立され、南北400m、東西200mに及ぶ寺内町として発展した。
旧高田川8.JPG
現在、江戸時代の商家建築の町家や明治・大正時代の近代建築物、水路や井戸が残っている。
旧高田川7.JPG
JR高田駅の東側に鎮座する天神社で地車(だんじり)祭りが行われていた。
そのだんじりが寺内町を巡行した。
旧高田川5.JPG
寺内町の北方を東西に通る「天神橋商店街」の旧天神橋跡を渡ると馬冷池公園がある。
馬令池の畔にある「天神地蔵尊」は、村人を悪さをする河童から助けたとの伝説があり、「お助け祈願」と信仰されている。

中世の「高田」は現在の片塩小学校付近にあった「高田城」を中心にした「本郷」が発展していた。
「高田」は古くから伊勢街道へ至る横大路や下街道が交差する交通の要衝地で、大和川の水運も利用されて、多くの商工業者が集住する商業地として寺内町が急速に発展した。
旧高田川を境に東側の「本郷」では農業を主として綿花や菜種、煙草などの栽培が盛んに行われ、西側の寺内町では商業を主としてそれらを取り扱う問屋が軒を連ね、政治・経済的に対立したという。

幕末から明治にかけて本格的な繊維産業へ発展し、大和紡績(現在のユニチカ)の企業城下町として発展した。
しかし繊維産業の斜陽化で、昭和52年に閉鎖された工場跡地は「ユニチカオークタウン」などへと再開発された。
その一方でJR高田駅の西側の旧商店街は再開発から取り残された結果、古い町並みが残され保存整備されることになった。

参考:
片塩商店街
http://katashio.eemachi.com/index.html

大和高田市「高田川の付け替え」
http://www.city.yamatotakada.nara.jp/city/rekishi/takadagawa/index.html

大和高田市「大和高田市公園」
http://www.library.pref.nara.jp/supporter/naraweb/yamatotakadasi-kouen.html

大和高田のだんじり祭り
http://danjiri.j-students.net/

一路一会「古い町並みと集落」
http://www.ichiro-ichie.com/05koto/nara/yamatotakada/yamatotakada01.html
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