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志紀駅、二俣から玉串川を下る

JR大和路線志紀駅東口前のロータリに万葉歌碑がある。
「真鉋(まかな)持ち 弓削の河原の 埋れ木の 顕(あら)はるましじき ことにあらなくに」
(読人知らず、『万葉集』巻7)
北側を流れる長瀬川沿いに地下水を汲み上げた親水水路がある。
志紀3.JPG
西口の前にも碑があり、駅はその旧大和川堤防跡にあると記されている。
国道25号線を挟んで金融機関の前に車止めのような「志紀水源地」の碑がある。
詳細はわからない。
志紀2.JPG
国道25号線沿いのR170(外環状線)高架下に「西村市郎右衛門頌徳碑」がある。
大和川の付替え後、慢性的な渇水問題を解決するために新大和川の堤防を切り、青地と井出口の2か所に樋を設置したために幕府に捕えられて大阪城内で刑死した。
昭和初期まで志紀に残っていた「講(功)念仏踊り」はその遺徳を偲んだものだという。
志紀1.JPG
線路を渡ると長瀬川に出る。
少し上った二俣で玉串川と分水している。
長瀬川(写真右)は志紀駅東口前へと流れていく。
二俣分水.JPG
玉串川(写真左)を下ると、左岸に都留美島神社がある。
本殿は一段高くなっており、旧大和川の堤防上だという。
近世以降、地元ではこの神を水神として信仰し、祈雨に霊験ありとされたそうだ。
玉串川3.JPG
近鉄山本駅の北にある山本図書館前に「山本新田住友会所跡」の石碑がある。
新田開発を請け負った泉州の山中善兵衛とその協力者の平野の本山(加賀屋)弥衛門重英の名を一字ずつ取って「山本」と名付けられたそうだ。
その後、住友に移管され、その会所があった。

車道を挟んで東側の水路に「寺井洫(みぞ)境石」(山本町5)がある。
新田開発した際に寺井という人が引いた水路の境を示す石だ。
玉串川2.JPG
(撮影日2013.6.9)
その少し北方に御野県主神社がある。
境内にある盛り上がりは旧大和川の堤防跡だ。
玉串川1.JPG
山本小学校前は親水整備されている。
玉串川は長瀬川とともに「疏水百選」に選定されている。
また近鉄山本駅を挟んで南北4kmにわたる桜並木は「大阪みどりの百選」だ。
工場排水などで汚染が進んでフナやホタルの姿が消えてしまったため、昭和40年頃から地元住民らの桜の植樹が広がって桜並木になったという。
玉串川4.JPG
第二寝屋川に滝のように注いでいる。
さらに北へと流れる細い水路(写真左手)もあるが、水はない。
玉串川5.JPG

参考:「疏水百選」(疏水名鑑HP)
http://inakajin.or.jp/sosui_old/hyakusen/index.html

「花園から吉田へ旧吉田川跡を歩く」(2013.1.5)につづく
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